2010年9月18日土曜日

何があるか分からない



今日は離島の座談会の日
先週は台風で船が出ずお流れ。
今日は快晴。 すっかり秋らしくなって、風が心地よい。

船も揺れずに無事に島に着いた。
前にも紹介したように的山大島である。

最初の港である神浦について、そこで車で迎えてもらって的山港の方の家に座談会に行く。

     ◇    ◇    ◇

そこでは世間話もしながら心づくりについて話をした。
普段からそんな習慣がないだろうが、この時ばかりはみおしえに関わる話を聞いてもらう。
私自身のことなので、誰も話のネタにはしないことにいている。

そしてご自分の取り組みを聞く。
なんと言っても、それぞれの人生が違う。
そんな中で気持ちの持ち方が共通項として、人の共感を呼ぶ。
人の物事の受け止め方はそうだろう。
事柄は皆違っても、分岐点では同じ事を考える。
そして、その行動は受け止め方次第で180度変わってくる。
だからこそ、その分岐点での対応を間違わないことが大切なのである。

     ○    ○    ○

さて、今日も座談会が終りに近づいて、20分ほどを余して、どうしてもそれ以上の気持ちが乗らないようになってしまった。
いつもならそこからまた話を絞り出して続けるのだが、どういうわけかそれ以上に気持ちがすすまない。

「もうこれくらいにして、今日はお開きにしましょう。また来月と言うことで・・・。」
と言うと「先生、今港に行ってもフェリーは来ていません。5分前にしか入港しませんから」と私を待たすことを心配してくれる。
一旦は「そうですか。」と受け入れたが、どうもそこから先が気持ちとして続かないので、「待っても良いですから」ということで港まで送ってもらった。

港に着いて降り立つと、一緒に乗ってきた団長さんが「まぁ、娘がいます」と言われた。
この娘さんには前からお会いしたいとお願いしていたが、相手の気分もあり、そして団長さん自身の気分もあり実現せずにいたのだ。
それが偶然港で出会すことになった。

 

折角なので挨拶にと一緒に連れて行ってもらって話をする。
話をしてみるととてもいい感じの奥さんだった。
娘さんの方も終始笑顔で冗談も出るくらいに話が弾んだ。

聞いてみると、今朝平戸に仕事に行ったご主人が平戸の方の社宅の鍵を忘れてしまった連絡があったので、フェリーの乗り組み員に頼んで届けてもらおうとやって来たと言う。

誠に不思議なタイミングであった。
こちらも予定してなくて、相手もまさかその日のその時間にPL教師がその船に乗ろうと港に現れるとは知らなかったはずだ。

まさに神様が授けて下さったタイミングであった。
どうしても座談会が続かずに早めに来たことで、娘さんと話す時間ができたのだ。
もし、ぎりぎりに着いていれば、時間がない上に、船の入港で鍵を渡して娘さんは帰っていただろう。
まさにこのタイミングしかなかったのだ。
こんなことは人が計画してもできることでない。

     ☆    ☆    ☆

「神と呼吸を合わせて暮らす」ということはこんなに大切なことだと教えられた。

0 件のコメント: